いつかは読んでみたい・・・そう思い随分前に購入したのですが、冒頭で挫折すること3回。
4回目にして、ついに読み終わりました。せっかくなので、思ったことを記録します。
「孤高の人」あらすじ
昭和初期、ヒマラヤ征服の夢を秘め、限られた裕福な人々だけのものであった登山界に、社会人登山家としての道を開拓しながら日本アルプスの山々を、ひとり疾風のように踏破していった“単独行の加藤文太郎”。その強烈な意志と個性により、仕事においても独力で道を切り開き、高等小学校卒業の学歴で造船技師にまで昇格した加藤文太郎の、交錯する愛と孤独の青春を描く長編。
加藤文太郎は実在した人物です。作者は一度実際に加藤文太郎に会ったことがあるそうです。実在した人だと思うと、なんだか重みがあります。
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漫画化もされているみたいです。
「孤高の人」を読んで
ストーリーは山岳小説にあるあるの展開で山に惹かれる男の人間模様?感情描写?
ただ、その描写は何か重みがあり、当時の歴史的な背景と絡んでいて面白かったです。それからやっぱり、最初の加藤文太郎という人は面白い人でした。全ての原点といった感じの人です。
それに、この小説の舞台がきき太郎の故郷でもある神戸の六甲山だったことや、北アルプスや八ヶ岳といった今でも変わらずに現存している場所だったことで想像しやすく途中からは一気に読みました。
「なぜ山に登るのか」を問い続ける話ではありましたが、単独行というところにおいて、気づかされるものが多かったです。
印象に残っている一説が
「ぼくの食べた分は僕が払います。・・・あの精神が登山家の精神なんだと思わないかね。」
作中で藤沢久造が加藤文太郎について表現していて、妙に納得しました。
登山はそうでなくちゃいけないし、何かをするときに本当に楽しくなるのは自分がやったんだって思うときかもしれないって思いました。自分で計画して自分で実行して、自分で満足する。
誰かに連れてきてもらったり、誰かの後ろを歩いたり、フォローでクライミングしたり、誰かの計画に乗っかって難しい山に登ったり、それでもめちゃくちゃ楽しいけど、けどって感じ。
本当に楽しいのは自分の目標を自分の力で成し遂げたときかもって思いました。そこに孤高の意味があるのかな。
読む前は単独行って人と関わるのが嫌なのかなとか、信用でいないのかなとか思ってたけど、そうじゃないって思いました。
なんとなく、ソロ活頑張ろうって思いました。1人で頑張ってみたい。
なんだかんだ文太郎に憧れる気持ちもあるし、尊敬するところも多くて読んでよかったです。
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